名称 |
ふりがな |
所在地 |
形態 |
築城年 |
西暦 |
館主 |
特徴 |
金堀城 |
かねほりじょう |
一箕町金堀 |
山城 |
16世紀 |
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滝沢峠の山頂東側にある。平場が連続する。 |
大塚山城 |
おおつかやまじょう |
一箕町亀賀 |
山城 |
16世紀 |
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大塚氏、石塚氏 |
『新編会津風土記』に大塚氏が住み、石塚氏が住むという。土塁、横堀、平場、虎口がある。 |
北滝沢館 |
きたたきざわたて |
一箕町北滝沢 |
居館 |
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堂家氏 |
『新編会津風土記』に堂家氏が住むという。土塁と堀跡が残る。 |
飯盛山城 |
いいもりやまじょう |
一箕町滝沢 |
山城 |
16世紀 |
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飯盛山の山頂にある。平場と横堀が残る。 |
長原城 |
ながはらじょう |
一箕町長原 |
山城 |
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端山の山頂にあり。平場が残る。 |
柳原館 |
やなぎわらたて |
一箕町柳原 |
居館 |
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安部外記 |
『新編会津風土記』に北柳原にあり、安部氏が住むという。現在畑と民家となり面影なし。 |
石部館 |
いしべたて |
一箕町八幡 |
居館 |
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石部冶部大輔 |
『新編会津風土記』に石部氏が住むという。現在水田となり面影なし。館跡に植えた石部桜が残っている。 |
舟子城 |
ふなこじょう |
大戸町芦ノ牧 |
山城 |
16世紀 |
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星刑部 星備中 |
『会津古塁記』に永享中に星刑部が築き、天正中星備中が住む。芦ノ牧温泉東側尾根にあり。石積石垣や石塁、平場が残る。 |
小谷城B |
おやじょう |
大戸町小谷 |
山城 |
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小谷川端の北に位置する堀切と平場がある。 |
香塩城 |
かしゅうじょう |
大戸町香塩 |
山城 |
文明3年 |
1471 |
星越中 |
『会津古塁記』に文明3年星越中が築いたとする。大戸中学校北側の尾根にあり、堀切、土塁、平場が残る。 |
香塩館 |
かしゅうたて |
大戸町香塩 |
居館 |
文明3年 |
1471 |
星越中 |
『新編会津風土記』に星越中、安田右京、穴沢越後が住むという。阿賀川沿いにあったが、水田となり面影なし。 |
上雨屋城 |
かみあまやじょう |
大戸町上雨屋 |
山城 |
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字舘山にあり、平場が残る。 |
下小塩城 |
しもおしゅうじょう |
大戸町上小塩 |
山城 |
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阿賀川と闇川の合流点にある。平場が残る。 |
闇川城 |
くらがわじょう |
大戸町闇川 |
山城 |
16世紀 |
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長井民部勝彦 |
『会津古塁記』にはも長井民部勝彦が住むという。闇川集落入口の舘山にあり。石塁と平場、虎口が残る。 |
片上館 |
かたがみたて |
大戸町闇川 |
居館 |
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闇川集落の東、入小谷にある。 |
小谷城 |
おやじょう |
大戸町小谷 |
山城 |
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館越の尾根にある。堀切、平場が残る。 |
下雨屋城 |
しもあまやじょう |
大戸町下雨屋 |
山城 |
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字舘山にあり、平場が残る。 |
若松城 |
わかまつじょう |
追手町 |
平山城 |
16世紀 |
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葦名・伊達・蒲生 |
南北朝時代の文和4年(1354)に葦名直盛が居城に定める。天文7年に現在の規模に改修される。天正18年には伊達政宗が2度石垣を積む。文禄2年に蒲生氏郷が天守閣と高石垣の城に大改修する。 |
神指城 |
こうざしじょう |
神指町中四合 |
平城 |
慶長5年 |
1600 |
上杉景勝 |
慶長五年に上杉景勝が築城するも家康の会津侵攻計画と関ヶ原の戦いで築城中止となる。面積55f。土塁の高さ、7.5m、本丸には石垣が一部残る。慶長6年破城される。 |
幕内館 |
まくのうちたて |
神指町幕内 |
居館 |
永徳2年 |
1382 |
葦名直盛 |
『会津古塁記』に葦名直盛が永徳2年に築き、小館に移ったという。新城寺が館跡されている。 |
横沼館 |
よこぬまたて |
神指町横沼 |
居館 |
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柴山民部 |
『会津古塁記』に柴山民部が住むという。土塁が残る。 |
沼木館 |
ぬまぎたて |
高野町上沼木 |
居館 |
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菊地弥三冶頼春 |
『会津古塁記』によると、菊地弥三冶頼春が住んだという。子孫が今でも住むが面影なし。 |
上吉田館 |
かみよしだたて |
高野町上吉田 |
居館 |
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現在民家となり面影なし。 |
木流館 |
きながしたて |
高野町木流 |
居館 |
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穴沢氏 |
せせなぎ川に面し、堀跡が残る。館跡は現在原野。 |
界沢館 |
さかいざわたて |
高野町界沢 |
居館 |
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松本土佐 |
界沢集落の中心に位置し、現在民家で面影なし。 |
界沢西館 |
さかいざわにしだて |
高野町界沢 |
居館 |
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金屋尾張守 |
『会津古塁記』に松本土佐が築き、金屋尾張が住むという。界沢集落北西の畑に位置していた。消滅。子孫の境沢氏が上杉景勝とともに山形に移り、文書も現存する。 |
下高野館 |
しもこうやたて |
高野町下高野 |
居館 |
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土塁が残る。 |
中前田館 |
なかまえだたて |
高野町中前田 |
居館 |
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菊地右近頼景 |
『会津古塁記』に沼木の菊地氏一族の菊地右近頼景が住むという。民家となり面影なし。 |
西木流館 |
にしきながしたて |
高野町西木流 |
居館 |
延徳頃 |
1490 |
森台又冶郎 |
『新編会津風土記』に延徳頃に佐瀬七郎盛滋が築き、天正頃に森代又冶郎が住んだ。東森代館と称する。一部発掘調査されている。 |
平塚館 |
ひらつかたて |
高野町平塚 |
居館 |
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平塚五郎左衛門 |
『新編会津風土記』に平塚氏が住むという。土塁と堀跡が残る。 |
允殿館 |
じょうとのたて |
館馬町 |
居館 |
宝徳3年 |
1451 |
松本右馬允通輔 |
『会津古塁記』に松本右馬允通輔が築き、允殿館と称し、後に成願寺を建て、静雲寺、弘真院に改めた。弘真院・蒲生秀行廟のある館の薬師が館跡。 |
対馬館 |
つしまたて |
館馬町 |
居館 |
明応元年 |
1492 |
松本対馬 |
県営住宅の場所が館跡。『会津古塁記』には、石塚中野館と称している。明応元年に松本対馬が築いたという。 |
安藤峠防塁 |
あんどうとうげぼうるい |
東山町安藤峠 |
防塁 |
慶長五年 |
1600 |
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上杉氏が造った防塁。 |
羽黒山城 |
はぐろやまじょう |
東山町湯本 |
山城 |
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羽黒神社の奥院の北に位置する。平場が廻る。 |
古館 |
こたて |
本町 |
居館 |
永徳2年 |
1382 |
葦名直盛 |
現在商店となり、面影なし。古館稲荷神社がその跡に建つ。『会津古塁記』に葦名直盛が幕ノ内館から永徳2年にここへ移り、至徳元年に小田山小高木へ移り、その跡には、城安寺を建てた。 |
中地館 |
なかぢたて |
町北町中地 |
居館 |
天文12年 |
1543 |
平塚丹波守実恒 |
『新編会津風土記』に、平塚に住み、元亀天正ころに平沢に住み、天正12年には個々に住むという。土塁と堀跡が残る。 |
中ノ明館 |
なかのみょうたて |
町北町中ノ明 |
居館 |
延徳頃 |
1490 |
大島小太郎守信 |
『会津古塁記』によると大島小太郎守信が住んだという。 |
平沢館 |
ひらさわたて |
町北町平沢 |
居館 |
天正頃 |
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二(新)国若狭 |
『新編会津風土記』に元亀や天正頃に、二国若狭が住んだという。平沢集落の北側にあり、現在水田となり面影なし。 |
上荒久田館 |
かみあらくだたて |
町北町上荒久田 |
居館 |
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渡部源左衛門 |
『新編会津風土記』に渡部氏が住むという。『会津古塁記』には渡部源左衛門基綱が住むという。集落の中央部の畑が館跡。 |
鈴木屋敷館 |
すずきやしきたて |
町北町鈴木 |
居館 |
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鈴木氏 |
『新編会津風土記』に鈴木氏が住むという。宅地となり面影なし。 |
金山城 |
かなやまじょう |
湊町赤井 |
山城 |
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赤井の小坂南東の山。平場が廻る。 |
赤井館 |
あかいたて |
湊町赤井 |
居館 |
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赤井集落にあった。民家や水田となり面影なし。 |
平下山館 |
ひらしたやまたて |
湊町赤井 |
居館 |
大永3年 |
1523 |
赤井因幡政道、平田大炊助 |
『会津古塁記』に赤井因幡政道が築き、天正頃に平田大炊助が住むという。土塁、虎口、平場、沢を利用した水堀跡が残る。虎口は平入り。 |
赤井城 |
あかいじょう |
湊町赤井 |
山城 |
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赤井の南側山中にあり。平場が残る。 |
鵜ノ浦城 |
うのうらじょう |
湊町共和 |
山城 |
弘安中 |
1288 |
山口三郎重義、鵜ノ浦甲斐守 |
『新編会津風土記』に山口三郎重義が築き、天正頃に鵜ノ浦甲斐光房入道聖親が住むという。中田のトンネル上にある。平場で構成される。猪苗代湖西側の中心的な城館。天正17年6月、摺上原後に伊達政宗に攻められる。 |
治郎作城 |
じろうさくじょう |
湊町崎川 |
山城 |
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猪苗代湖岸にある。平場が残る。 |
崎川城 |
さっかじょう |
湊町崎川 |
山城 |
弘治中 |
1558 |
斎藤治郎盛義 |
『会津古塁記』に斎藤氏が住むとある。石動木にある。堀切、虎口、平場が残る。 |
笹山城 |
ささやまじょう |
湊町笹山 |
山城 |
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笹山の西側の山頂にある。平場がある。 |
戸ノ口原塹壕 |
とのくちはらざんごう |
湊町笹山原 |
塹壕 |
慶応4年 |
1868 |
会津藩 |
会津藩が強清水東に1日で造ったざんごう。土塁と横堀、平場が河東村にかけて3列に残る。 |
笹山原塹壕 |
さささやまざんごう |
湊町笹山原 |
塹壕 |
慶応4年 |
1868 |
新政府軍 |
県レク公園内に長さ54mで横堀がほられている。 |
田代館 |
たしろたて |
湊町田代 |
居館 |
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不明 |
湊町で最も良く残っている館跡。平場、虎口、堀跡が残る。 |
原城 |
はらじょう |
湊町原 |
山城 |
弘安中 |
1288 |
原小冶郎家光 |
『会津古塁記』に弘安中、原小冶郎家光が築いたという。原集落の東、舘山にある。平場が巡る。 |
東田面館 |
ひがしたずらたて |
湊町東田面 |
居館 |
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集落内に館跡があった。現材民家や水田となり面影なし。 |
東田面城 |
ひがしたずらじょう |
湊町東田面 |
山城 |
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東田面の南中腹にある。平場が残る、 |
東田面城B |
ひがしたずらじょう |
湊町東田面 |
山城 |
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金砂神社に隣接する北側にある。平場が廻る。 |
経沢城 |
へざわじょう |
湊町経沢 |
山城 |
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不明 |
経沢の南側にある。堀切、土塁、平場が残る。 |
南松城 |
なんまつじょう |
湊町南松 |
山城 |
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南松北側の山頂部に位置する。平場が廻る。 |
一ノ堰館 |
いちのせきたて |
門田町一ノ堰 |
居館 |
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集落内に土塁と堀跡が残る。 |
面川館A |
おもがわたて |
門田町面川 |
居館 |
冶安元年 |
1021 |
佐瀬将監 |
『新編会津風土記』に佐瀬氏が住むとある。『会津古塁記』には、冶安元年に永井淡路行広が築き、松本源兵衛安石が居たとする。宮崎電線が館跡。工場建設前は、土塁と掘跡があった。 |
面川館B |
おもがわたて |
門田町面川 |
居館 |
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多賀神社の場所が館跡。土塁、堀跡、虎口、平場が良好に残っている。 |
面川城A |
おもがわじょう |
門田町面川 |
山城 |
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佐瀬氏 |
泰雲寺の東に位置する。土塁、横堀、平場が残る。 |
面川城B |
おもがわじょう |
門田町面川 |
山城 |
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佐瀬氏 |
山ノ神の東に位置する。虎口、堀切、平場が残る。 |
堤沢城跡 |
つつみざわじょう |
門田町堤沢 |
山城 |
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林右馬頭 |
『新編会津風土記』に村の東の舘山にあり、林右馬頭が住むという。 |
小田山城 |
おだやまじょう |
門田町黒岩 |
山城 |
15世紀 |
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葦名氏 |
小田山山頂に土塁、虎口、平場、堀切が造られている。奴田山(どたやま)山頂に土塁と堀切があり、荒佐原山山頂にも平場がある。 |
小田山新政府軍砲陣跡 |
おだやましんせいふぐんほうじん |
門田町黒岩 |
砲陣 |
慶応4年 |
1868 |
新政府軍 |
小田山の中腹にあり、長さ約5mの大砲を据えた場所が約7ヶ所ある。大砲の向きは天守閣方向が多い。 |
小田山塹壕 |
おだやまざんごう |
門田町黒岩 |
塹壕 |
慶応4年 |
1868 |
新政府軍 |
小田山城の南東部、中腹間にある。土塁と虎口がある。 |
青木館 |
あおきたて |
門田町黒岩 |
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『会津古塁記』に真田越後実源が住み、天正頃に寺田民部が居るという。 |
徳久館 |
とくひさたて |
門田町徳久 |
居館 |
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字竹之元があり、集落内に位置する。民家となり面影なし。 |
中島館 |
なかじまたて |
門田町中島 |
居館 |
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会津鉄道門田駅東に位置し、土塁と堀跡が残る。 |
根岸館 |
ねぎしたて |
門田町根岸 |
居館 |
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集落東側にあり、平場が残る。 |
花坂館 |
はなさかたて |
門田町花坂 |
居館 |
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土塁と堀跡が残る。 |
小田館 |
おだたて |
門田町花見ヶ丘 |
居館 |
15世紀 |
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葦名光盛 |
『会津古塁記』によると建久元年(1190)に(葦名)光盛が住んでいたという。宝積寺が館跡。土塁と堀跡は現在墓地となっている。 |
御山館 |
おやまたて |
門田町南御山 |
居館 |
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多々良伊賀 |
『新編会津風土記』に多々良伊賀が住むという。光明寺東側に土塁と沢を利用した堀がある。 |
御山城 |
おやまじょう |
門田町南御山 |
山城 |
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源義家 |
『新編会津風土記』に源義家がここに館築いたとしている。照谷寺東の山が城跡。平場が残る。 |
飯寺城 |
にいでらじょう |
門田町飯寺 |
居館 |
15世紀 |
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葦名直盛 仁科光盛(荒井氏) 小沼帯刀 |
『新編会津風土記』『会津古塁記』にある幕内館とはこの館のようである。葦名直盛が康暦元年に築いたとされている。オリンパスの場所が城跡。曲輪が南にもあり、その跡に神社が建つ。昭和30年代まで土塁と堀跡が残っていた。東に馬場跡があった。文治5年に仁科光盛が築き、小沼帯刀が居たという。 |
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