石田明夫の考古学から見た「会津の歴史」
旧石器時代
東北地方で最も多く、旧石器時代の遺跡が、十数ヵ所集中しているのが福島県会津若松市湊町(みなとまち)の笹山原遺跡
群です。猪苗代湖の西岸に位置する笹山原は、戊辰戦争(1868)の時に、新政府軍と会津藩軍とが戦った場所です。この場所 は、磐梯町を中心とする大寺火山(アスピーテ型火山)の残丘で、猪苗代湖が最大となった約40,000前にはほとんどが水没し ていたところですが、猪苗代湖の水位が断層活動によって低下したことから、湖岸に位置するようになりました。その頃の猪苗 代湖は、魚がたくさん生息し(現在は酸性の長瀬川によって魚は限られた場所に生息)住みやすかったようです。会津若松市 教育委員会と郡山女子大学の発掘調査によって、約15,000年前から30,000の遺跡が多数発掘調査されています。現在、その 場所には、県のレクリエーション公園が建設中です。発掘調査報告書も数冊発行され、細石刃やコア、鹿児島県のアエラ火山 (AT)の火山灰が掲載されています。猪苗代町の翁島や耶麻郡高郷村の塩坪、熱塩加納村の加納にも遺跡があります。
縄文時代
縄文時代早期では、耶麻郡塩川町の常世遺跡が良く知られています。会津若松市では、縄文時代を代表する遺跡として、大戸町の上三寄大豆田の国道118号線、阿賀川にかかる橋の南東水田に
この遺跡があります。福島県内最大の縄文時代の住居跡があり、円形に配置された環状集落も初めて発見されました。遺跡 は、ほ場整備に伴なって、発掘調査を実施されましたが、あまりにも重要な遺跡である事から、盛土して保存しています。、
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