石田明夫の考古学から見た「会津の歴史」 
111
旧石器〜古墳時代の会津
 旧石器時代
 東北地方で最も多く、旧石器時代の遺跡が、十数ヵ所集中しているのが福島県会津若松市湊町(みなとまち)の笹山原遺跡
群です。猪苗代湖の西岸に位置する笹山原は、戊辰戦争(1868)の時に、新政府軍と会津藩軍とが戦った場所です。この場所
は、磐梯町を中心とする大寺火山(アスピーテ型火山)の残丘で、猪苗代湖が最大となった約40,000前にはほとんどが水没し
ていたところですが、猪苗代湖の水位が断層活動によって低下したことから、湖岸に位置するようになりました。その頃の猪苗
代湖は、魚がたくさん生息し(現在は酸性の長瀬川によって魚は限られた場所に生息)住みやすかったようです。会津若松市
教育委員会と郡山女子大学の発掘調査によって、約15,000年前から30,000の遺跡が多数発掘調査されています。現在、その
場所には、県のレクリエーション公園が建設中です。発掘調査報告書も数冊発行され、細石刃やコア、鹿児島県のアエラ火山
(AT)の火山灰が掲載されています。猪苗代町の翁島や耶麻郡高郷村の塩坪、熱塩加納村の加納にも遺跡があります。
 
 縄文時代
 縄文時代早期では、耶麻郡塩川町の常世遺跡が良く知られています。会津若松市では、縄文時代を代表する遺跡として、大戸町の上三寄大豆田の国道118号線、阿賀川にかかる橋の南東水田に

この遺跡があります。福島県内最大の縄文時代の住居跡があり、円形に配置された環状集落も初めて発見されました。遺跡
は、ほ場整備に伴なって、発掘調査を実施されましたが、あまりにも重要な遺跡である事から、盛土して保存しています。、

 この写真は、上が北です。右側に見えているのが、市内大
戸町闇川に行く市道です。青色は、シートです。右手中央に車
とシートがありますが。その場所が、本能原遺跡の中心部の
広場になります。広場の大きさは、直径約65mあります。その
周囲には、たくさんの穴がありますが、それは、住居跡や柱穴
や土坑、墓です。  よく見ると、広場を中心に長さ約20mの
楕円形をした竪穴住居が、広場を取り囲んで放射状に並んで
いることがよく分かると思います。竪穴住居は、大型長方形竪
穴住居跡と呼ばれるもので、この遺跡では、三内丸山遺跡よ
りやや小型の住居でですが、最大22mあり、最小でも15mあ
り、平均19mあるようです。福島県内最大の縄文時代の住居
跡です。やや大きな穴は、フラスコ状土坑と呼ぶ、どんぐりや
クリなどの木の実を入れていた貯蔵庫です。小さな穴は、土
坑墓と呼ぶ川原石を乗せた墓になります。遺跡の年代は、約
4500年前の縄文時代中期、大木7bから8a、8b段階に限定
されます。
調査面積は約5000u 参考資料「本能原遺跡」会津若松市教育委員会2000.3

ホームページのトップへ
前のページへ戻る
直前のページへ


1114