石田明夫の考古学から見た「会津の歴史」
会津若松市一箕町には、東北を代表する古墳時代前半の古墳があります。昭和39年に会津若松史の編纂に伴っ
て、発掘調査が実施され、出土遺物は国重要文化財指定の「会津大塚山古墳」を中心に、前方後円墳が4基と円墳 群、横穴墓群があります。大塚山には、縄文時代中期と後期の遺跡、12世紀の経塚や中世の大塚山城跡、17世紀 初頭に東日本最古の近世窯となる会津大塚山窯があります。周辺には、弥生時代の再葬墓として知られる墓料遺跡、 会津唯一で7世紀末頃の古代瓦窯跡となる村北瓦窯跡、山城の飯盛山城跡、会津五桜の一つ石部桜などがありま す。
周辺には次ぎの遺跡があります。
会津大塚山古墳 4世紀中頃 前方後円墳 全長114m 発掘調査済
堂ヶ作山古墳 4世紀前半 前方後円墳 全長84m 試掘調査・探査調査 主体部未発掘
飯盛山古墳 4世紀前半か前方後円墳 全長65m 探査調査済 主体部未発掘
一箕八幡山古墳 不明 前方後円墳 全長約50m 宅地造成で消滅
天子ノ宮古墳 不明 円墳か前方後円墳 全長約50m 未調査
石仏古墳 5世紀か 円墳 消滅 石棺の蓋のみ会津大塚山古墳上にあり
大塚山円墳群 4世紀から7世紀
大塚山横穴墓群 7世紀
墓料遺跡 弥生時代の再葬墓。出土遺物は市指定文化財
村北古墳群 6世紀から7世紀 市史跡の村北瓦窯跡内に一部石棺を移転し保存
村北瓦窯跡 7世紀末から8世紀前半 市史跡
大塚山経塚 12世紀後半 珠洲(すず)窯T期の波状文四耳壺が出土
大塚山遺跡 縄文時代中期と後期の遺跡
大塚山城跡 中世の山城跡。土塁、平場が残る規模の大きな山城跡。
会津若松市内の古墳群
東北地方を代表する、一箕古墳群の他に会津若松市には、小規模な古墳群が点在しています。
会津大塚山古墳 標高269.6mの大塚山頂上に位置する全長114mの前方後円墳で、昭和39年市史編纂に伴って
発掘調査が実施されています。南北2本の棺があり、中からは銅鏡の三角縁三神ニ獣鏡、弓矢入れていた、靱、など 337点の遺物が出土しています。昭和47年国の史跡、出土遺物は昭和52年国の重要文化財に指定。県立博物館に展 示されています。出土遺物から、4世紀中頃と推定されている。西側には、円墳1基もあります。また、大塚山には、6世 紀から7世紀世紀にかけての円墳がいくつか点在し、石棺が確認されています。
堂ヶ作山古墳 標高382.2mの一箕町滝沢、堂ヶ作山頂に位置する前方後円墳で、全長84mの前方後円墳であす。
平成3年から6年まで試掘調査が実施され、古墳全体に石が貼られていたことを確認しています。鳥形のも出土し、土 器の年代から4世紀前半と推定されています。
飯盛山古墳 標高368.5mの飯森山頂に位置する前方後円墳で、全長65mの前方後円墳である。平成7年度に略測
量が実施されている。また、南側に円墳1基がある。4世紀前と推定されている。
村北古墳群 一箕古墳群に含まれる古墳として、居合団地南側に東から西へ伸びる小丘陵上には、円墳群が存在
しています。昭和45年6月の居合団地造成に伴って、8基の円墳を発掘調査され、石組み石棺を伴う円墳の中から直 刀や石鏃が出土しています。
天子宮古墳 一箕町上居合に位置する古墳で、古墳の頂上に江戸時代にキリスト教の教会が建てられていたこと
から天子宮と呼ばれています。会津中央病院の西、畑の中に位置する独立した古墳で、直径約50mの円墳と推定され ます。三段に築成されているが、末端部分の確認は、耕作によって判別しにくくなっています。また、南西方向に微高地 が伸びていることから、全長約80mとなる前方後円墳の可能性もあります。調査がされていないことから、造られた年 代は不明です。なお、平成16年度に南側の畑部分を市道の拡幅に伴って発掘調査が実施され、平安時代と中世に属 する掘立柱建物跡の集落が検出されています。
大塚山横穴墓群 大塚山の南斜面に位置する横穴墓群で、『』に「とて九尺四方計の洞一つ、小さき洞5つあり」と書
かれている。南側の市道工事に伴って、昭和53年に発掘調査が実施され、12基の横穴墓が確認され、中から直刀や 人骨が出土しています。
松窪古墳群 一箕町松窪と北に隣接する藤倉新田の丘陵上に点在する円墳群で、直径約20mの古墳が市道の両
側に点在している。6世紀と推定されます。
駒板新田横穴墓群 松窪の北側に位置する河東町駒板新田には、磐越自動車道建設に伴って発掘調査が実施さ
れた古墳があります。約30基検出され、中から直刀や人骨が出土しています。7世紀から8世紀初頭と推定されていま す。
木流・大林腰古墳 会津若松市高野町上沼と河東町に点在する円墳群で、木流古墳は、ほ場整備に伴って昭和50
年に発掘調査が実施されています。直径約10mの円墳で、組合式の石棺の中から長さ103cmの直刀1点と刀子の残 欠2点が出土しています。6世紀の古墳と推定されます。
小田山古墳群 門田町黒岩の小田山丘陵上点在する円墳群で、1号墳は、直径28.5m、他の2基は直径約10mの
円墳で、盗掘により一部石棺が出土しています。5世紀から6世紀にかけての古墳と推定されています。なお、門田町 御山には、鏡塚と称するものや直刀が出土したと伝えられる場所や『新編会津風土記』に「蝦夷穴」の記述があること から、他にも古墳が点在していたものと推定されます。
田村山古墳 会津若松市北会津町田村山に位置する前方後円墳で、寛文5年(1665)『大沼郡中荒井組改帳』に
「塚」として記述されています。また、現在消滅した「灰塚」は、大正10年4月2日、耕地整理に伴って村人により掘り起こ され、土器などが出土しています。現在残るのは、「糠塚」で、昭和3年3月31日、再び村人によって掘り出され、銅鏡2 面、小玉10個、3個、直刀、土器片が出土しています。その中でも、鏡2面は、中国製の「内行花文鏡」と呼ばれるもの で、円を組合せた模様がある3世紀末に作られた、東北最古の鏡です。出土遺物は昭和28年に県指定文化財、古墳 は昭和47年に市指定文化財に指定されています。
他に、会津若松市栄町に西分古墳、蚕養町の北側に円墳があったといわれています。
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