会津の地名由来 |
3世紀頃、四道将軍の大彦命が北陸道から、子の建沼河別命が東山道を遠征し、出会ったところが「相津」という。『古事記』より |
会津の資料初見 |
古事記に伝承があるが、『続日本紀』に養老2年(718)陸奥国から岩城・岩背国を分けた時、岩背国に名が出てくるのが最初。 |
会津の人口 |
約27万4千人。世帯数10万世帯。会津若松市の人口は、約12万3千人。約4万5千世帯。
1648年の会津の人口は11万3千人。1815年には126,999人。江戸時代は293,921人
人口密度は2016年で、50.69人。全国最下位の北海道でも68.65人。全国一過疎の地方。 |
猪苗代湖と桧原湖 |
猪苗代湖の面積は、103.87平方`。海抜514m。深さ94m。全国5位の広さ。桧原湖の面積は10.8平方`。海抜823m。深さ31m。明治21年(1888)誕生。
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会津盆地 |
断層によりできた盆地。南北約40km、面積約480平方`。標高175mから230m。 会津若松市役所は218.32m。会津若松市の面積は315.28平方`
会津は5420.69平米(全国26位の愛知県や千葉県、石川県より広い)。江戸時代の会津領は6913.61平米。 |
磐梯山と飯豊山 |
磐梯山は標高1819mの活火山。明治21年7月15日に大爆発。裏磐梯と桧原湖を造る。飯豊(いいで)山は標高2105m。稲作の神「飯豊(いいとよ)青姫命」(本社奈良県)を祀る。 |
領主の変化 |
@佐原義連(さわらよしつら)、神奈川県横須賀市の満願寺に墓がある。 A佐原盛連(もりつら)B葦名光盛(みつもり)、神奈川県横須賀市に板碑がある。 C葦名泰盛(やすもり) このころ会津に館を構える。D葦名盛宗(もりむね) 鎌倉片瀬で戦死。神奈川県鎌倉市の建長寺に墓があった。
E葦名盛員(もりかず) 父とともに片瀬で戦死。神奈川県鎌倉市の建長寺に墓があった。
F葦名直盛(なおもり) 黒川の館を整備する。京都、妙満寺に墓があった。
G葦名詮盛(あきもり)
H葦名盛政(もりまさ)
I葦名盛久(もりひさ)
J葦名盛信(もりのぶ) 墓所は天寧寺の狸(たぬき)ヶ森廟にあり
K葦名盛詮(もりあき)
L葦名盛高(もりたか)
M葦名盛滋(もりしげ)
N葦名盛舜(もりきよ) (盛高か盛舜の墓所らしきのが花見ヶ森にあり)
O葦名盛氏(もりうじ) (座像国指定重文、宗英寺蔵、墓所は市史跡)
P葦名盛興(もりおき) (墓所は市史跡「葦名家花見ヶ森廟」)
Q葦名盛隆(もりたか) 二階堂より人質に入り後養子となる(墓所市史跡)
R葦名亀若丸(かめわかまる)
S葦名義広(よしひろ)常陸大田に戻り盛重(もりしげ)と名を変える 葦名氏は、天正17年(1589)6月10日、会津を追われ茨城県常陸大田へ帰り、天正18年5月に江戸崎町の江戸崎城へ入ります。関ケ原で上杉方についたことから佐竹は秋田に移封葦名家は慶長7年(1601)に秋田県角館城へ移ります。承応2年(1653)に断絶し、そのあとに佐竹北家が入ります。角館には、天寧寺があり、寺の裏に葦名家墓所があります。
佐原・葦名氏
(約72万石という)文治5年(1189)〜天正17年(1589)400年間
伊達政宗(だてまさむね) 天正17年(1589)〜天正18年(1590)1年間
蒲生氏郷(がもううじさと)。秀行(ひでゆき)
92万石 天正18年(1590)〜慶(約120万石という)長3年(1598) 8年間
上杉景勝(かげかつ)
120万石 慶長3年(1589)〜慶長6年(1601) 3年間
蒲生秀行(ひでゆき)市内弘真院に墓所がある。(県指定文化財)
60万石 慶長6年(1601)〜寛永4年(1627)26年間
・忠郷(たださと) 市内高巌寺に墓所がある。 ・
忠知(ただとも) 四国松山に移る。松山市大林寺に墓がある。
加藤嘉明(よしあき)
40万石 寛永四年(1627)〜寛永二十年(1643)16年間。文明寺に墓があった。
・明成(あきなり) |
保科・松平氏
23万石・5万5千石(南山御蔵入領) 寛永20(1643)〜明治元年(1868)225年間 (実質44万石、仙台藩は63万石で実質100万石) 3万石(斗南藩・実質7千石・約17,000人移住) @保科正之(まさゆき) 26年在職 土津神社に葬る 土津(はにつ)霊神 慶長16年5月7日生 徳川2代将軍秀忠4男、幼名幸松丸のち信濃 元和3年保科正光の養子 寛永12年12月17日 母浄光院没 (52歳) 寛永20年(1643)7月4日 会津23万石領主 肥後守 贈従三位 寛文6年8月 「会津風土記」成る 寛文8年(1668)4月11日 家訓十五カ条制定 寛文12年8月 「会津旧事雑考」成る 寛文12年12月18日 没 (62歳) 夫人 菊(岩城城主内藤政長の娘)20歳没、泰教院殿、墓は三田光台院
萬(京都上加茂神社の祝人、藤木織部の娘)71歳没、誠光院殿・墓は東京三田の実相寺にある A保科正経(まさつね) 13年在職 松平家墓所(仏式) 鳳朔(ほうしょう)院 正保3年12月27日生 正之4男 筑前守 延宝3年(1675)8月19日 土津神社建立 天和元年10月3日没(36歳) 夫人 久萬(加賀藩前田俊常の娘)65歳没、仙渓院殿、墓は下谷広徳寺 B松平正容(まさかた) 51年在職 松平家墓所 徳翁(とこお)霊神 寛文9年1月29日生 正之6男・正経養子 元禄9年12月9日松平改姓 葵紋章の使用が命じられる 肥後守 享保16年9月10日没(63歳) 夫人 竹(筑後守阿部正武の娘)16歳没、艶陽院、墓は下泰宗寺 祐(横山右衛門常定の娘)59歳没、栄光院殿、墓は谷中髄輪寺
C松平容貞(かたさだ) 20年在職 松平家墓所 土常(つちとわ)霊神 享保9年8月16日生 正容8男 肥後守 寛延3年9月27日没(27歳) 夫人 登茂(友)(讃岐守松平氏の娘)正覚院殿、墓は下谷広徳寺 D松平容頌(かたのぶ) 56年在職 松平家墓所 恭定(ゆうしづ)霊神 延享元年1月9日生 容貞長男 肥後守 文化2年7月29日没(62歳) 夫人 銑(棚倉藩阿部正允の娘)浄心院殿、墓は下谷広徳寺 聖(毛利)重就養女、毛利(山口)宗広二女)、墓は貝塚青松寺 *容詮(かたあき) 寛延3年4月生 駿河守 天明5年6月没(36歳) 夫人 頴(加賀藩前田治修養女、加賀藩前田重教二女) E松平容住(かたおき) 5月在職 松平家墓所 貞昭(すみてる)霊神 安永7年11月20日生 容詮二男 肥後守 文化2年2月27日没(28歳) 夫人 謙(掃部守井伊直幸の娘) F松平容衆(かたひろ) 17年在職 松平家墓所 欽文(あきさと)霊神 享和3年9月15日生 容住長男 肥後守 文政5年2月29日没(20歳) 夫人 幸子(元姫 徳川家斉15女) G松平容敬(かたたか) 31年在職 松平家墓所 中恭(まさお)霊神 文化3年4月28日生 松平義和の子 容衆養子 肥後守 嘉永5年2月10日没(47歳) 夫人 節(久保田藩佐竹義和の娘) 厚(加賀藩前田斉広の娘) H松平容保(かたもり) 17年在職 松平家墓所 (大正6年新宿正受院改葬) 天保6年12月29日江戸四谷で生 高須松平義建6男 容敬養子 忠誠(まさね)霊神 ※嘉永6年6月ペリー浦賀に来航 文久2年8月1日 京都守護職を命じられ、5万石と金3万両を貸与 文久3年3月10日 後に新選組20余人、配下に命じられる 文久3年10月9日 孝明天皇から御辰韓を賜わる 明治26年12月3日没(59歳) 東照宮宮司 夫人 敏(容敬5女) 10松平喜徳(のぶのり) 水戸徳川斉昭19男容保養子 若狭守 安政2年10月生 明治2年1月家名再興 斗南3万石 明治6年8月徳川へ復帰 11松平容大(かたはる) 陸軍騎兵大尉 貴族院議員 明治2年6月生 明治43年6月没 廃藩置県 夫人 鞆子(ともこ)濱田松平武聴長女 12松平保男(もりお) 容保5男 海軍少尉 貴族院議員 明治11年12月生 昭和19年1月没 13松平保定(もりさだ) 大正15年8月生 夫人 沼津水野忠敬4女 14松平保久(もりひさ) |
江戸時代の人口 |
全会津で幕末時は約24万人、家臣数4,500人 武士約23,000人(家族含む)、江戸詰め約1,600人 若松町方衆約16,000人、村方衆約155,000人、南山御蔵入54,000人(若松城下の人口約39,000人)
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最大時の石高 |
上杉景勝の時、120万石(現、政府米価に換算すると、約525億円になる)1石は60`で2.5俵分 |
会津代表の遺跡 |
笹山原遺跡(会津若松市) 約20,000年前の旧石器時代の遺跡常世遺跡(塩川町) 縄文時代早期の遺跡、約7,000年前 本能原遺跡(会津若松市) 県内で縄文時代最大の建物跡(約22mある)墓料遺跡(会津若松市) 弥生時代の墓(再葬墓)
一箕古墳群(会津若松市) 東北を代表する古墳群
会津大戸窯(会津若松市) 東北を代表する窯跡群恵日寺(磐梯町) 平安時代の山岳寺院跡
向羽黒山城跡(会津美里町) 東北を代表する山城
神指城跡(会津若松市) 未完成の若松城の二倍ある大規模な城跡
若松城跡(会津若松市) 東北を代表する城 |
会津の主な国宝◎と重文○ |
◎勝常寺の薬師三尊 平安時代初期の仏像群◎龍興寺の一字蓮台法華経 天海が持込んだ可能性がある平安末のお経○熊野
神社(喜多方市新宮) 平安の神殿造りの建物○法用寺(会津高田町) 平安時代の仏像○八葉寺(会津若松市河東) 戦国時代の寺○願成寺(喜多方市) 鎌倉時代の仏像○藤倉二階堂(会津若松市河東)室町時代の堂○宇内薬師(会津坂下町) 平安時代の仏像
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会津に来た主な武将 |
伊達政宗、豊臣秀吉、石田三成、直江兼続、前田慶次、土方歳三、齋藤一、 |